中国駐在も残り一年。

中国に駐在してもう一年以上経つだろう。いまだに何か辛い日々が続いている。 仕事うまくいかないし自分が何をしたいのかもよくわかんない。 オンラインの大学には行っている。けれども大学もうまくいかないし勉強してもすべての知識や何かどっかに流れているようなそんな感覚を覚え集中できない日々が続く。 少し鬱気味な時もあるだろうか一方で何か言われたときに素直に受け止められない。 趣味も特にあるわけでもない。 仕事がうまくいかない。 特に趣味もないので仕事もできないととにかく辛い。 仕事に強い得られているのか人に優しくできているだろうか。そうでもない。 頭の回線も鈍い、どうやったらやったら仕事が上手く行くだろう。 どうやったら人生楽しめるだろう。 すべての人に受けられる必要ない、人に受け入れられることを主軸にしてはいけない。 私の基準を他人任せにしてはいけない。 それは他力本願であるから。 自分の中に自分で楽しみを見つけなくちゃいけないんです。何が楽しいのかわからない。 ただ自分を見つめるためにこのブログを書いていこうと思う。 本業以外に副業で何か生計を立てたいと思う。 自分で自分の生活をコントロールしたい、自分で自分の生活をコントロールしたいんです。 自分で自分の生活をコントロールするってどういうことか。 お金を自分でコントロールするということか。 自分がやったら自分でやった分だけ返ってくる、そんなそんなものはない。 大体の成果は後から成果は後から実の成果は今実るものではない。 そのラグを自分の中でバッファーとして吸収することが必要。 仕事の量が多い、考えることがたくさんある、自分のキャパシティを超えていると日々感じている。

どうやったら回せるようになるんだろう。 どうやったら考えられるようになるのだろう、どうやったら案件全部把握して考えられるようになるんだろう。 定量ではなくて定性的に考える、 数字で考えるんだ、数字に強くなる、数字で考える数字を見る。

刺激を求めるんじゃなくて継続性を求める。 一過性のもので人生は変わらない。 少しずつ少しずつ水が石を削るように人生は変わっていく。 とは言え全く違うところに水を垂らし続けても何にもならない。 自分がどの方向に進みたいのか考える必要がある。 間違っている時間はなるべく少なくする。 他の人が間違ったことを自分の同じ間違いを犯してはいけない。 間違いの多い人、間違いの少ない人、間違いの多い人がかかる時間の、半分や3分の1の時間で間違いの少ない人は人生を進んでいくことができる。だから考える必要がある。考える、考える、考える。

物事を見るときには測定ー解析ー判断のフローをたどる。 測定は同じようにできる。 解析判断のところで人によって大きく違いが出て、結果が大きく変わってくる。 解析と判断、そこを大きく間違えてはいけない。

謙虚さを忘れるな、謙虚と言う事は守破離と同じ。 我流では自分ができる範囲内のところしか進んで行けない。他の人の力を借りることができない。 素直さ謙虚さを持って初めて他の人の意見を自分の人生に取り入れ、自分だけでは辿り着けない、さらに先のところまでたどり着くことができる。 それを忘れるな。 他の人はかけてくれる言葉のありがたみを忘れるな。 何か言われたらむかつくこといっぱいある、 でもその言葉は他の人が自分の人生を使って自分に何か投げかけてきてくれている言葉なんだありがたみを忘れるな。 どんなに自分が忙しくても謙虚に生きること。